「問い」から問い直そう!【自分探し 答え】
どうしようもない不安に駆られるとき、
それは、もしかしたら、
問いが違っているのかもしれません。
20代のころの私は、
「自分が本当にしたいことって何だろう?」
という問い(の答え探し)で、
頭の中が一杯でした。
世間でも「自分探し」なんて言葉が
流行っていたように思います。
私は、青い鳥を探すべく、
仕事が終わってから、
気になった習い事にどんどん
手を出していきました。
英会話、料理教室、着付け、
ゴルフ、ワイン会、英語、ヨガなど、
まっすぐ家に帰ることは稀。
その中に、会社や友だちとの飲み会も
ありますから、そりゃぁもう大忙し(笑)
手帳はアフターファイブ(この表現は死語?)の
予定で、ギッシリです。
その中で、会社員の仕事をしながら、
パン教室の講師をして、
「自分の道はこれかも!」
なんて思いつつも、
「本当?」
と自問自答すると、また違和感満載に…。
とにかく、もがいていました。
どこかに天職があるに違いない!って。
問いによって、導き出される答えが変わってくる
「自分探し」をし続けて、
本当の自分に行き着いた人はいるのでしょうか?
いくら自分探しをしても、
答えなんてあるはずがありません。
だって、自分というのは
さまざまな経験の寄せ集めであり、
だんだん築き上げていくもの。
結果論でしかないのです。
つまり、「答えのない問い」を
考えていたわけですから、
答えに行き着くわけがないのです。
*
「どうして~なっちゃったんだろう?」
と問えば、
過去の原因探しになります。
「どうしたら~できるんだろう?」
と問えば、
未来に向けた解決策を考え始めます。
「何が、そう(感じ)させたんだろう?」
と問えば、
大きな視野で全体を見ようとします。
私たちは、子どもの頃から
答えることに必死になってきました。
しかし、大人は、
問いから考えなくちゃいけない。
なぜなら、
問いによって、
導き出される答え(選択)が全く変わってくるから。
選択が変われば、
行動が変わり、
人生が変わります。
そもそも先の例のように
答えのない問いに対して、
必死に考え、苦しみ、
徒労に終わる場合もあるのです。
たまたま本日付の日本経済新聞の
「私の履歴書」コーナーで
社長と幹部の面白いやりとりが
紹介されていました。
「どうすれば社員の愛社精神を
高められるだろうか」一人が手を挙げた。
(中略)
「まずは『愛社員精神』でしょう。
会社が社員に愛を示せば、
おのずと愛社精神は出てくる。順番が違います」
まったくその通り。
(日本経済新聞2021年4月22日付)
うまくいかないことがあったら、
もしかして、
問いが適切じゃないのかもしれません。
「問い」そのものから
疑うことをはじめませんか?