【No.198】「守られている」という感覚。
昨日は、5歳の息子が通う幼稚園の「クリスマス会」でした。
涙腺がめっきり弱い私は、
子どもたちの一生懸命な姿に、何度も泣きそうに。
息子が出てきたら、ハラハラとした心配の感情が働いて、
溢れてた涙はスッと止まりましたケド(笑)
わが家は、キリスト教信者ではないですが、
キリスト教的教育をする幼稚園に通う息子。
クリスマス会は、毎年「天地創造」と「イエズス様のご誕生」の
2部作を約120人(年少~年長)で演じます。
毎年、役を変えて、同じ物語(細かなセリフなどは変更)を演じるのですから、
大人になっても、大まかな内容は覚えているのでしょうね。
普段は、登園すると、
朝、お弁当の時間、帰るときは、必ずお祈りをしているようです。
息子をキリスト教信者にしたいわけではありません。
ただ、最近、私が感じているのは、
「感謝する気持ち」とともに、
「誰かに守られているという感覚」
があるというのは、とてもいいことだなと思っています。
誰か、というのは、
神さまでも、
仏さまでも、
ご先祖さまでも、
大いなる宇宙でも、
お天道さまでも、
お祖父さまやお祖母さまなどの身近な方でも、
これまでの自分の努力でも、
何でもいいです。
万が一、自分が折れそうになったときや、
不安になったとき、
どうしようもなく自己嫌悪になったとき、
ふと、
あ、きっと○○○が守ってくれる。
見ててくれる。
そばにいててくれる。
と、思えたらいいなと。
なにかに守られている感覚が、
本当に、自分自身を守ってくれるような気がするのです。
私は、欲張りなので、なぜか小学生のころから、
「神さま、仏さま、ご先祖さま」がセット(苦笑)
(複数が、いいのか悪いのかは、わかりません)
守られている感覚が、信じる気持ちにも通じるのかなと。
謙虚な気持ちや、根拠のない自信にもつながるかもしれませんね。
「私は大丈夫」と。
「宗教のススメ」を書きたいのではないので、
くれぐれも誤解のないようにしてくださいね。
子どものクリスマス会を通して、親以外からも、
「守られている感覚」が、
育ってくれたらうれしいなと、思った次第です。
誰に守られているのか思い出して、感謝する。
そうすると、さらに心強く感じるかもしれないと
感じた日でもありました。