コピーの変化と言語化の意味【言語化 思考】
ずーっと違和感を抱いていたことを
ある本を読んで、
とても納得したことがありました。
こうした言語化というのは、
カウンセリングやコーチング、
指導される立場の方には
参考になるかと思います。
まずは言語化からスタート
個人的な話ですが、
中学生時代の夢は、
「コピーライター」でした。
糸井重里さんや林真理子さんに
憧れていたんです。
短い言葉で人を動かすって
「なんてかっこいいんだろう」
と思っていました。
大人になり、そんな話をすると
「夢を叶えたんですね!」
なんて言われ、
「そうかもしれないけど、
何かが違う…」
と、ずーっと思っていました。
(注*私はコピーライターではないですが、
コピーを書くこともあるため)
その違和感が、次の文章で
すっと腑に落ちました。
少々長いですが、引用します。
(ここから)
ネット社会になる前の1980年代から
90年代はじめの頃の広告が、
なぜあのように観賞用の作品として
上質でおもしろいものが多かったのか、
その理由が判明しました。
その当時は、広告会社のコミットメントは、
「売れる」ところまではカバーしていなくて、
その手前の「認知される」ところが目標だった
<中略>
広告それ自体のおもしろさや美しさなど、
見た人を感動させ憧れさせるようなクオリティを
追求することができたわけですね。
<中略>
「おいしい生活」(82年)
「Hungry?」(92年)
「なにも足さない。なにも引かない。」(92年)など、
トレンドや世相を作るような、
場合によっては時代の生き方・感じ方を
くすぐるようなメッセージを出せた
ということはあると思います。
『ほんとうの「哲学」の話をしよう-哲学者と広告マンの対話』
(著者 岡本裕一朗/深谷信介)
ネット社会の今となっては、
広告が、「売れる」ところまで
カバーする必要が出てきて、
コピーも変わってきたわけです。
マーケティングが必要になったわけですね。
以前ご紹介した言葉を使えば、
================
マーケティングは、
「人の欲望」を刺激する
テクニックの集大成
================
ですから、
「認知させるコピー」から
「クリックさせるコピー」に
変化したということになります。
私が、違和感を抱いていのは、
「これだー!!」
と、一種の謎が解けたような爽快感と
衝撃を受けながら、深く納得して
グリグリに線を引いていました。
私が、コピーに憧れていたのは、
トレンドや世相を作るような、
場合によっては時代の生き方・感じ方を
くすぐるようなメッセージを出せると
思っていたからだったのに、
コピーの役割が、
時代の変化とともに変わっていたから
「夢が叶った」感じがしなかったんですね。
とはいえ、ネット時代にならなければ、
私自身がコピーを書くことにも
ならなかったのかもしれませんけど(苦笑)
*
例え話が長過ぎてしまいました…。
私が伝えたかったのは、
この言語化のパワーです。
今は「共感の時代」と
言われることがあります。
カウンセリングやコーチングでは、
「傾聴」が大事といわれます。
「共感」や「傾聴」もいいですが、
ただ、
「そうですよね」とか、
おうむ返しに同じ言葉を繰り返されるより
思考や感情を別の言葉で
「言語化」された方が、
相手は、気づきや発見が大きく、
次へ進める気がしませんか?
表面上で相手に合わせるのではなく、
言語化によって、
さらに相手の思考や感情を
鮮明にさせるということ。
言語化されたことによって、
現実が少しでも露わになることで、
どうすればいいのか、
どうしたいのかが
見えてくるからです。
ソシュールが言っている通り
私たちは、言葉という
フィルターを通してしか、
世界について考えることができません。
だから、まずは言語化から
スタートなのです。
カンタンではないことも多いですが、
お互い言語化に向き合っていきましょう。
カウンセリングやコーチング、
指導される立場の方には
特に参考になさってくださいね。