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2021-10-05

精神の成熟【人生 選択】

自分自身が弱っているときほど
「誰かのせい」にしたくなるもの。

人間関係についてご相談を受けた後、
偶然手に取った本の次の箇所が、
とても納得ができたので
少々長いものの、ご紹介しますね。

(ここから)

各自が自分の目的を 追求するからこそ
共同体は成立するのである。

ところが、自己犠牲によって
自分を例外扱いする者がいると、

各自が自分の目的を追求するという、
共同体成立の大前提が崩れてしまう。

だからそれは禁じられるのだ。

こうした条件を守ったうえで、
行為はすべて各自の責任においておこなわれる。

自分の判断に基づいて行動を選択し、
その結果に対する責を負うことにおいて

各自は責任ある人格( 「理性的人格」)たりうる。

カントによれば、
それが精神の成熟にほかならない。


(「哲学マップ」貫茂人・著)

自分を幸せにしてあげるのは自分しかいない

自分の判断によって
行動したことは、

結果がどうであれ、
自分自身が全て責任を負う、

カントによれば、
それこそが「精神の成熟」ということ。

その一方で、次のようにおっしゃる方に
お会いすることがあります。

「あの時、◯◯さんが、△△って言ったから
 私の人生は狂った」

「私が△△なのは、◯◯さんが、
 あんなことを言ったから」

うまくいかなかったことを
人のせいにしている状態ですね。

こんなことを書いている私自身が、
心の内で根強く
そう思っていた時代がありました。

正直、苦しかったです。

ただね、誰かのせいにしている限り、
人生の舵取りを
他人に任せていることになるんですよね。

なんとか前に進もうとしても、
何かに引っ張られるかの如く、
ブレーキがかかってしまいます。

きっかけは
誰かが作ったかもしれないけれど、
最終的に決めたのは自分。
行動したのも自分です。

そんな自分とは、
ずっと付き合わないといけないし、

そんな自分を
動かしていかないといけないし、

そんな自分を
幸せにしてあげるのは自分しかいない。

だったら、
人任せにするのではなく、

全てひっくるめて、
自分の責任だと認めて
前に進むしかない。

成熟というより、
前向きに諦めたという方が近い(笑)

たまにとか、少しの時間、
そんな気持ちになってしまうことが
あるかもしれません。

しかしながら、
そんなときこそ、
自分の人生を取り戻すべく、

結局は自分で選択したのだと納得し、
(きっと拒絶することもできたハズだから)
自分の足で、前に進みたい。

人のせいにしている限り、
成長できないし、
幸せは訪れないから。

理想論かもしれないけれど、
人のせいではなく、

「おかげさまで」と言える
人生を歩みたいもの。

言い訳を飲み込み、
「誰か」ではなく、
自分が主体となって過ごしていきたい。

そうすると、
自分がちょっと強くなった気がします。