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2016-06-15

【No.22】文章から透けて見えるコト

5年程前、取材をドタキャンされたことがあります。

初めての経験であり、それ以降は(今のところ)ありません。

ある業界向けの新聞記事のため、
ちょっとした不安を感じながらも、取材を申し込んでいました。

当日、カメラマンと一緒に名古屋の取材先に着いても、相手は姿を見せず。

電話をしたら、
「急な用事」で、今は遠くの別の場所にいて、今日はムリとのこと。

前日に、確認の電話を入れなかった私にも非があり、
一方的に攻めることはできません。

徒労に終わった、移動時間+α…。
なんとも悲しい。

その日は何もできず、後日、電話取材をすることになりました。

そして、電話取材。
話をしたものの、先方の話は、どうにも信憑性が薄い。

それを記事にするのは、ある意味危険だし、私が書きたくありませんでした。

結局、全て「ボツ」にしました。

その後、大慌てで、別の取材先を探して、カメラマンと一緒に伺い、
今までにはないスピードで原稿を仕上げたことがあります。
(いつもそのスピードなら、私の仕事も早いのだけど…汗)

先の取材先で、はじめから「少し不安」を感じていたのは、
先方のブログ記事から。

まぁまぁの更新頻度はあったものの、
内容があまりに軽い、薄い。
どうにも、私の好みじゃない書き方。

そのブログというのは、感嘆符、いわゆるビックリマーク(!)や、大きく太い文字の連続。
文章も極端に短い。
簡潔に表しているとも違う。 と、思う。
勢いはあるけど、愛やぬくもりは伝わってこない。 感じがする。

ただ、商品やコンセプトが面白かったので、いいかなと思い、
他にいい取材先が見つからなかったこともあって、申し込むことに決めました。

「信頼できるの?」というイヤな感覚は、正しかったようです。
自分の首を絞めることになった出来事でした。

「文章から人がすけて見える」

これは、誰もがなんとなく感じていることだと思います。

もちろん、会話からでも分かりますが、
会話は、相手がいる分、
あわせたり、自分を取りつくろったりすることができます。

(しかしながら、「5分話せば、人格がわかる」というツワモノの知人もいます。
私は、そこまで到達しておらず、まだ修行の身)

文章は、自分と向き合います。

自分の中からことばを つむいでいく ので、
つくろっていても、ふと、ほころびが出てしまう。

一回の文章だけでなく、
回数を重ねれば、なおさらです。

だから私は、書くことを仕事にしていながら、
「文章を書くのがコワイ」と、何度も思います。

書いているのは、伝えたいことや、書く目的があるから。

ブログやメルマガ、Facebookなど、
頻度の高いものは、だんだん人柄って、伝わってきます。

発信する方は、
「こんなことがあった」と書きつつ、ある意味、
「私はこんな人ですよ」って、お知らせしているということ。

自分をさらけ出すことによって、
共感してもらえたり、興味をもってもらえたり、時には応援してもらえたり。

そんな大きな効果があります。
好みじゃなかったら、読まなくていいし、さりげなく去っていけばいい。

文章から、透けて見える人となり。

私のことも、随分バレてきていますね。
こんなんですが、末永くよろしくお願いします(笑)