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幼少期

男の子と何度か間違われた、元気な女の子でした。
外見も、ショートカットに、半ズボンかズボン姿。

「ゆうこちゃん(私)の方が、やりたい気持ちが強かったんだね」
今でも記憶している、最も古いセリフです。

このじゃんけんは、年長(5歳)クラスで、
イベントの「みにくいあひるの子」の主役を決めるときでした。

主役の立候補していたSちゃんと、じゃんけんで、
どちらが主役をやるのか決めることに。

じゃんけんに勝ったのは私でした。
たまたまじゃんけんに勝っただけかもしれませんが、
N先生の言葉は、幼いながらも、
ちゃんと意思を持つこと、強く願えば叶えられると心に刻まれました。

学生時代

元気でまじめな学級委員タイプ。
小学校~高校まで、田んぼに挟まれたのどかな道を通っていました。

今でも、田んぼを見たり、カエルの大合唱を聞くと、
なんとなく落ち着きます(カエル自体は苦手)。

小学生のころは、吃音(きつおん)で苦しんでいました。
(今でも、まれに吃音が出ることがあります)

病院にも行きましたが、身体的な異常はなく、
具体的な解決策もありません。

今、思えば、軽度だったかもしれません。

しかし、多感な子ども時代。
男子からもからかわれ、嫌でたまりませんでした。

特に、自分の苗字が、言いにくく、つまってしまいます。

はじめは、かっこよく見せたいものなのに、
自己紹介で、自分の名前をすんなり言えない辛さ。

吃音とはいえ、私は子どものころから、よくしゃべる方ではあったため、

「私は、おしゃべりだから、
神様が、私にしゃべりすぎないよう、吃音を与えたのかもしれない」

と、自分を必死に納得させ、慰めていたことを今でも覚えています。

吃音になる言葉は、言葉として発する前に、自分自身でわかることが多いです。

例えば、「赤色」と言いたいのに、吃音になるなとわかったときは、
「信号でストップの色」だとか、
「リンゴの色」だとか、
他の表現に言い換えていました。

瞬時に、いろいろな言葉を思い出し、言えそうな言葉を探し出すのです。

今思えば、吃音のおかげで、
言葉に対する敏感さを養われたのではないかと思っています。

大人になってから、
井上ひさしさん、大江健三郎さん、尾崎士朗さん、重松清さん、藤沢周平さんなど、
名だたる小説家が吃音だったことを知りました。

明確な関係性は不明とはいえ、
どれだけ救われた気持になったかわかりません。

ありがたいことに、
中学、高校になるにつれて、吃音は徐々に軽くなっていきました。

小学校4年生くらいから、
お気に入りのノートに、物語を作っては書いていた。

文字を読むことが大好きで、漫画はもちろん、
図書館にも通い、本を読んでいました。

言葉で印象的だったのは、小学校6年生のときのこと。
東京からやってきた転校生が、
「なんだよー」
と言った言葉に衝撃を受けました。
(岐阜弁なら「なに言いっとるの」「なに言っとるんや」)。

同じ意味でも、同じ小学生でも、発する言葉が違うだけで、
こんなにも印象が変わるのだと。

言葉のもつ不思議さ、魅力を強く感じた時でした。

中学時代は、小学生時代からやっていたバレーボール部に入部。
背が低くセッターに。部長もやり、チームプレーは、このころから好き。

中学3年生では、生徒会の図書委員長。
「図書館便り」を楽しく発行していました。

中学時代の将来の夢は、「コピーライター」。
なりたいと思った大きなきっかけは、2つです。

言葉に関して、褒められることが多かったこと。
国語の授業で、要約の宿題をよく褒めてもらったことと、
「公民」の時間に、日照権について説明すると、先生から

「これまで授業をしてきた中で、一番端的に上手に表現している」

と言ってもらえ、才能があると信じていました。

もう1つは、
短い言葉で、世の中にインパクトを与える仕事に
「かっこよさ」を感じたから。
憧れていました。

今思えば、小学生のころからの吃音によって、
言葉に敏感になり、
表現の多様性を知ったことも大きいと思っています。

コピーライターに憧れはありつつ、受験の失敗もあり、
全く関係のない学部へ進学。
だんだん、憧れていたことも忘れた生活を送っていました。

社会人

社会人デビューは、大手素材メーカーに就職。
名古屋支社での営業サポートでした。

活字は相変わらず好きで、
20代は小説、30代はビジネス書を多読。

20代はOLをしながらも、
週末は趣味で夢中になったパン教室の講師を行っていました。

2足のわらじのパン教室では、
・生徒さんが、いかに次のクラスへ進級してもらえるか。
・パンをこねる機械をいかに多く買っていただけるか。
が重要で、進級率や売り上げ数は、教室内の常に上位の結果に。

生徒さんたちが、
いかにパンのある暮らしを楽しんでもらえるかに注力することが、
結果を出すこと直結するかを学ぶ。

結婚後、夫の転勤で、
勤めていた会社とパン教室を辞め、関東に引っ越ししました。

フードコーディネーターの学校に1年間通い、
文章教室にも行き始め、
「食」と「書くこと」に関しての学びを深めます。

その後、株式会社日本食糧新聞社に転職。

食品の新製品に特化した月刊誌の編集記者となりました。

仕事内容は、
改廃の激しい加工食品のトレンド傾向や背景を探ったり、

ヒット商品になるまでの開発から販売促進など、
ヒット商品をつくったマーケッターに直接取材したり、

類似商品の食べ比べ企画などを行ったりした。

仕事を通じて、まさしく「食は時代をあらわす」と実感。
時代の流れ、
人々の感性、
時代の空気感、
言葉の変化などを感じながらの仕事でした。

食品の新製品に関する総合データサイトの必要性を感じ、
ゼロから立ち上げたことも。
社内外の方の意見を聞き、予算の獲得から、
コンテンツ内容の企画、運営などを行いました。

フリーランス

2010年、夫の転勤で大阪へ転居。
前職を退職し、フリーランスとなる。

2011年、男児を出産。

現在は、「食」関連に関わらず、
さまざまな分野のインタビュー、コピーの作成、編集、ライティングを中心に活動。

インタビューをすると、
「自分の頭の中が整頓できました」
「自分でも自覚がなかった気持ちに、気がつきました」など、
好評だったため、さらにインタビュースキルを上げようと、コーチングの学びも始める。

2016年から、コーチングセッションを始め、
その人がもつ可能性を引き出すコーチングセッションにも定評がある。

2016年5月28日~ 「聴く。書く。伝える。」日刊メールマガジンを発行中