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2016-12-07

【No.198】「守られている」という感覚。

昨日は、5歳の息子が通う幼稚園の「クリスマス会」でした。
涙腺がめっきり弱い私は、
子どもたちの一生懸命な姿に、何度も泣きそうに。

息子が出てきたら、ハラハラとした心配の感情が働いて、
溢れてた涙はスッと止まりましたケド(笑)

わが家は、キリスト教信者ではないですが、
キリスト教的教育をする幼稚園に通う息子。

クリスマス会は、毎年「天地創造」と「イエズス様のご誕生」の
2部作を約120人(年少~年長)で演じます。

毎年、役を変えて、同じ物語(細かなセリフなどは変更)を演じるのですから、
大人になっても、大まかな内容は覚えているのでしょうね。

普段は、登園すると、
朝、お弁当の時間、帰るときは、必ずお祈りをしているようです。

息子をキリスト教信者にしたいわけではありません。

ただ、最近、私が感じているのは、
「感謝する気持ち」とともに、
「誰かに守られているという感覚」
があるというのは、とてもいいことだなと思っています。

誰か、というのは、

神さまでも、
仏さまでも、
ご先祖さまでも、
大いなる宇宙でも、
お天道さまでも、
お祖父さまやお祖母さまなどの身近な方でも、
これまでの自分の努力でも、

何でもいいです。

万が一、自分が折れそうになったときや、
不安になったとき、
どうしようもなく自己嫌悪になったとき、

ふと、

あ、きっと○○○が守ってくれる。
見ててくれる。
そばにいててくれる。

と、思えたらいいなと。

なにかに守られている感覚が、
本当に、自分自身を守ってくれるような気がするのです。

私は、欲張りなので、なぜか小学生のころから、
「神さま、仏さま、ご先祖さま」がセット(苦笑)
(複数が、いいのか悪いのかは、わかりません)

守られている感覚が、信じる気持ちにも通じるのかなと。
謙虚な気持ちや、根拠のない自信にもつながるかもしれませんね。

「私は大丈夫」と。

「宗教のススメ」を書きたいのではないので、
くれぐれも誤解のないようにしてくださいね。

子どものクリスマス会を通して、親以外からも、
「守られている感覚」が、
育ってくれたらうれしいなと、思った次第です。

誰に守られているのか思い出して、感謝する。

そうすると、さらに心強く感じるかもしれないと
感じた日でもありました。