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2016-10-13

【No.142】泣きながら前に進む、子どもに学ぶ。

ふと、泣きながら、自分で涙をふきながら、
やるべきコトをやっている、3歳の男の子を思い出します。

先日のメルマガに書いた、幼稚園の「自由参観」に参加したときに見た、
ママに会いたいと泣きつつも、ちゃんと朝のお支度や、ご挨拶をしていた
年少さんの彼のことです。
http://flight-ex.jp/bkn40727/kikukaku/132

あの時は、けなげな姿に、愛おしい気持ちで一杯でしたが、
時間がたつにつれて、尊敬にも近い気持ちが湧いてきています。

「ママに会いたいと泣きながらも、やることはヤルってすごいな」と。

泣くのは我慢できなくて、悲しくて泣いてしまう。

けれど、ちゃんと前に進んでいる姿が、かっこいい。

自分で自分を成長させています。

もしかしたら、大人の方が、
感情にフォーカスしすぎて、動けなくなっていないかなと思った次第です。
(感情は無視! なんてことは言ってないので、誤解しないでくださいね)

コミュニケーションについて教えている先生が、こんなことをおっしゃっていました。

「自分の気持ちをよくするコトばっかりに注力して、
気分がよくなった~って喜んでいる人と、
イヤだし苦手だけど、その先を考えて、行動をしている人と、
どちらが早く成長すると思う?」

もちろん、自分を気分よくしておくことは、とてもとても大事です。

ただ、感情にばかり気をとられ、何も動けなくなるより、
マイナスの感情は受け止めながらも、その先を考えて、
行動をした方がいいのではないかということ。

(感覚としては、「無限の現状肯定(※)」に近いのかもしれません)
※無限の現状肯定について
http://flight-ex.jp/bkn40727/kikukaku/127

例えば、
・人前に立つのは苦手で大嫌いだけど、
伝えたいことがあるから、私は(僕は)やる。

・イライラして家事なんてやりたくないけど、
やらないことでもっとイライラするなら、やっておく。などなど。

14年前、父がガンで亡くなったとき、葬儀やその後の忙しさは、目が回るほどでした。
(親戚が多いということもありますが…)

目の前のやるべきことで、悲しみに浸っている時間が少ないのは、つらい。
けれど、体を動かさなくてはモロモロのことが回っていかない。

残された人たちが、現実の社会に早く復帰できるように、
こんなシステムになっているのかと、後になって思った記憶があります。

感情は大切なものだし、フタをするものでもありません。

気持ちをちゃんと汲み取り、どっぷりと浸かりながらも、
次へ進めたらいいなと、私は思います。

ママに会いたいと泣きながらも、
自分自身を成長させている子どものように。