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2016-10-12

【No.141】やっと感情が動き、体が動いた。感情はエネルギー!

やらなくちゃと思いつつ、なかなか身が入らない、
けれど、感情が大きく動いて、やーっとヤル気になった…

そんな気分を味わっています。

お能です。

「わかりにくいものと、とっくみあいをしている。
負け続けているくやしさが、私にある」

先日、お能を鑑賞した後、こんなメモを書いていました。

お能の稽古に行き始めて2年。
お稽古は、自分が謡ったり、仕舞(※)をしたりするのは、それなりに楽しい。

※仕舞(しまい):一曲の見せ場である独立した一部分を舞うこと。

正直に書いてしまえば、年に2回の発表会前後は、熱が入るものの、
その他は、家ではほとんど稽古せず、ダメダメ生徒です。

そして、お能の鑑賞となると…、正直、眠い。
それも、たまらなく…(恥)

能を観に行く前には、必ず先に
ストーリーをざっくりと頭の中に入れておくものの、
少しでも難しい演目になると、チンプンカンプン。

能というのは、演目ごとに舞台背景が変わるわけではありません。
想像の自由が大いに与えられています。

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日本画が、多くの余白を残しているのと同じように、
お能の型も、道具の類も、できる限り省略することで、
無限の表現を可能にするのです。
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『能の物語』白州正子・著

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西洋音楽とまったく逆の発想の音楽。
大事な表現になればなるほど、音のしない空白の部分の意味が重くなります。

能の演技もそのとおり。
最高回転のコマが澄んで動かぬように見えるのと同様、動きの究極は動かぬ表現にいたります。
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『まんがで楽しむ能・狂言』 増田正造・監修

先の日曜日、鑑賞席に座りながら、
理解できず、想像力を働かせることもできず、睡魔が襲い、
私には向いていないのかと、帰り道はかなり凹んでいました。

先月は、分かりやすいストーリーで、少々楽しめたことがありました。

「ようやく私も、わかりかけてきた?」
なぁんて思った後だったので、凹み方が一層深い。

どうして、こんなに凹むことに、時間とお金をかけているのだろうと。
くやしさ、悲しさ、なさけなさ、もどかしさ。
こんなものが、ぐるぐると渦巻いていました。
(あきらめて、やめようかなという気持ちも…)

織田信長や豊臣秀吉も、お能には心酔していたといいます。
600年の歳月、日本に残り続けている芸能。

私も感動したい! 幽玄の世界を理解したい!
お能を観ながら、心を振るわせたいーっ!!
日本人である私が、どうしてこんなに理解できないのだー!

という自分に対して、怒りにも似た感情も。

今、抱いている感情をツラツラと書いてしまいました。

と、いうことで、「お能強化月間」を決めました。
毎日、5分でも3分でも、
能に関するものを読んだり、仕舞をしたり、謡うことにします。

強烈なあこがれとか、くやしさなど、
人は感情が大きく動かないと、体は動かない。
身をもって実感中です。

まさしく、
「感情はエネルギー!」。

今朝も、2分30秒くらいの「高砂」の仕舞をしました。
強化月間にすると決めてから、4日目。一応続いています。

私ってば、意地になってるダケ?